私は母と2人暮らしでほかに一緒に住んでいる家族は誰もいません。
父は4年前に離婚して、弟も4年前に東京に就職して誰もいないので、働いて生活費を稼ぐ人は1人もいません。
ですが私は主治医に傷病手当金を受け取る書類を書いてもらったので、毎年51万円受け取れました。
ほかに障害年金を毎年96万円もらっていたので、合計147万円の生活費を確保できました。
ただし仕事していない母は、傷病手当金をもらえず障害年金の審査も通らなかったので、私の収入のみで母と2人で生活することになりました。
ですがいくら収入があっても、母と私の世話してくれる人は誰もいません。
それでも生活するために、まずはやらないことを決めました。
・料理しない
・買い物と通院以外は家にいる
・お風呂は3日に1回しか入らない(夏以外)
・洗たく機は週に1回しか使わない
・それ以外の時間は寝ている
料理はできないので食事は主にごはん、冷凍食品、ツナ缶、インスタントラーメン、卵、ドライフルーツ、アーモンドを食べました。
買い物の回数を減らすために、長期保存ができるこれらを中心に大量に買いました。
冷凍食品は栄養バランスを考えて野菜を買いました。
おふろは3日に1回体を軽く洗いました。
(ただし夏だけ毎日洗いました)
洗たくの回数は週1回に減らすため3日は同じ服を着ました。
洗たく物は足がふらつき長く立てないので、お昼寝しながら2回に分けてほしました。
それ以外の時間はずっと寝ていました、というより気分が悪くてまったく動けませんでした。
なので食事、買い物、通院、トイレ、洗たく、入浴以外は何もやっていません。
テレビを見たり音を聞くだけで気分が悪くなるので、家は毎日静かでした。
そして傷病手当金をもらって1年5カ月になりましたが、毎月病院に行って毎回薬を変えているのに、うつ病の症状が全くよくなりませんでした。
このままでは、貴重な生活費である傷病手当金がなくなるので正直あせりました。
それを主治医に相談したら、この状態で無理やり仕事したら、ケガや事故を起こすからまだ休んでくださいと言われました。
・お腹がすいているのに食事が少ししか食べられない
・胃腸が弱っていて消化にいい物しか食べられない
・体がふらつくので手すりがないと歩けない
・体がふらついていすに座れない
・歩いている途中気分が悪くなり倒れそうになる
・休んでいるのに心拍数が125以上ある
・頭に大量のワタがつまったような重苦しい圧迫感
・過去のトラウマのフラッシュバックの回数が増える
・食事、買い物、通院、おふろ、トイレ、洗たく以外の時間はずっと寝ている
なので主治医が生活に困らないようにと、傷病手当金を延長する書類を書いてくれました。
うつ病の薬は1年半で18回も変えたのにどれも効かなかったので、19回目以降は少し強い薬に切りかわりました。
そして23回目でついに私はうつ病の症状を軽くする薬を見つけました。
そう思った理由は、うつ病で1番つらい症状だった頭の中に大量のワタがつまったような重苦しい圧迫感が、急に軽くなったからです。
そのおかげで、今まで洗たく物をほすときは途中でお昼寝していたのですが、新しい薬を飲んでからはお昼寝しないで洗たく物がほせました。
食事は少しですが食べられるようになったので、体重が少しだけ増えました。
少し元気になったので、横になりながら3DSでポケモンを遊びました。
1日に何度もお昼寝するのは変わりませんが、それでも体の調子が少しずつよくなりできることが増えました。
・手すりを使わずに歩ける
・いすに座ってもふらつかない
・長時間立ってもふらつかない
・休んでいるときの心拍数が120から85に下がる
・お昼寝の時間が減りおきている時間が増えた
ただしテレビを見る、料理を作るなどできないこともありますが、それでも前とは比べものにならないくらい体は楽になりました。
ただ中途半端に元気になったせいか、私は150万円以上損した株取引をまた始めてしまいました。
普通に考えたら絶対に損してさらに多くのお金を失う結果にしかならないのに、私の株取引に対する未練があまりにも強すぎて、もう一度株取引を始めてしまいました。
当然結果はさらに損失を大きくして1年間で50万円損しました。
そしてうつ病の薬が効いて1年後、ついに私は仕事ができる状態まで回復できました。
そして、私は開店して3カ月になる飲食店に障がい者枠で再就職することになりました。
そこで今までとは比べものにならないくらい、おだやかな生活が待っているとは、このときは想像すらしていませんでした。
2005文字