暴力女の止まらないパワハラ地獄

 

 

狂気じみた暴力女におびえながら仕事をする日が毎日続くと、ストレスで気がおかしくなりそうです。

 

 

私は普段から暴力女にこんなことをされました。

 

 

 

・石や防草シートを止める鉄のピンを投げられる

 

・殴られたくなかったら言うことを聞けとおどされる

 

・逃げようとすると腕をつかみ仕事のジャマをする

 

・それでも逃げると石を持って「まてー!逃げるなー!」とドスの効いた声で追いかけられる

 

・少しでも気に入らないことがあるとすぐに説教する

 

 

 

ほかは1度だけですが、収穫したばかりのトマトを投げられたこともあります。

 

 

トマト 収穫 513×344

 

 

投げるトマトがなくなると今度は私を殴ろうとしましたが、誰かが男性職員を呼んでくれたおかげで、殴られずに済みました。

 

 

しかも暴力女は男性職員に、
「トマトがつぶれたのは、私を怒らせたこの女が全部悪いから早く責任を取らせろ」と言いました。

 

 

当然私が怒られる理由はないので、逆に暴力女が男性職員に怒られながらどこかに連れて行かれました。

 

 

そして1時間後、暴力女が戻ってすぐ私に、
「あんたのせいで私が怒られたじゃないの!どうしてくれるのよ!」とヒステリックに逆ギレされました。

 

 

私はこんな被害にあいましたが、正直これは生ぬるい方です。

 

 

なぜならこの暴力女は、複数の男性に殴るけるの暴行をしてケガさせたことがあるからです。

 

 

もっとひどいのは、私の面談の担当だった女性職員が暴力女のストレスのせいで、流産しかけました。

 

 

結局その女性職員は会社をやめて、実家のある青森に逃げ帰ったとまわりから聞きました。

 

 

その話を聞いた暴力女は、
「うるさい女がいなくなってせいせいした」と言うものですから、ハッキリ言ってこの暴力女には殺意しかわきませんでした。

 

 

パワハラ地獄の果てのうつ病

 

 

こんな日が1年半も続き、とうとう体の調子が悪くなってしまいました。

 

 

まずは食欲がなくなり体重が3カ月で6kgも減ったので、私は発達障害でお世話になっている主治医に相談して、体重の減りを止める薬をもらいました。

 

 

そして私はすぐ治ると思い、調子が悪いまま仕事をしてしまいました。

 

 

 

・頭にワタが詰まったような圧迫感を感じる

 

・頭がクラクラして会話の内容が理解できない

 

・体に力が入らず重苦しくて走れない

 

・体がふらつきまっすぐ歩けない

 

・音が聞こえにくくなり何度もトラックにひかれそうになる

 

・家に帰ったら玄関で2時間以上お昼寝しないと動けない

 

・休日は20時間以上寝る

 

 

 

 

そして主治医に薬をもらって2週間後、農場で倒れていた私を見つけた男性職員が、私を車に乗せて近くの病院に連れていきました。

 

 

ですが内科で異常は見つからなかったので、私の通院している精神科の病院の紹介状を書いてもらい、そこで見てもらいました。

 

 

ただし私は頭が回らず会話できないので、男性職員が私のかわりに病院の先生と話していました。

 

 

そこで初めて私はうつ病だと言われそのまま薬をもらいました。

 

 

うつ病の診断書をもらった私に、男性職員はこんなことを言いだしたのです。

 

 

「仕事にはげめば元気になれる」

 

 

今思えばひどい暴言ですが、うつ病で頭が回らない私には何の感情もわきませんでした。

 

 

仕事を休ませる気のない新しい管理者からのパワハラ

 

 

今年から管理者が変わったせいで、去年より仕事が大変になりました。

 

 

管理者とは障がい者施設の最高責任者であり、新しい管理者の性格はいわゆる体育会系でした。

 

 

去年までの管理者は、重労働を大柄な男性にさせていたのに、逆に新しい管理者は小柄とやせ型の男性と女性にさせました。

 

 

その理由は、
「私の乗る送迎車を障がい者施設に行かず、直接倉庫に行って仕事をした方が効率いい」と言ってました。

 

 

なので送迎ルートが1番倉庫に近いという理由だけで選ばれたので、大柄な男性が1人もいないメンバーにこんな仕事をさせました。

 

 

 

・重さが80kg以上ある野菜の入った大きなコンテナを運ぶ

 

・大きな米袋をはかりにのせて野菜を40kgずつ袋づめする

 

・40kgの野菜の入った大きな米袋を引きずらないように持ち上げて運ぶ

 

 

 

新しい管理者はうつ病の私にこんな力仕事をさせました。

 

 

当然体調は悪くなり筋肉痛がひどくなり、右手もしびれてきたのでもっと仕事がつらくなりました。

 

 

病院に行ったら今の作業をやめないと、うつ病と筋肉痛と右手のしびれは治らないと言われたので、新しい管理者に仕事を休みたいと相談しました。

 

 

その結果、私はとんでもないことを言われました。

 

 

「仕事にはげめば元気になれる」

 

「メンバーが1人でも減ると困るから倉庫の仕事が終わるまで休まないでくれ」

 

「手がしびれてもまだ動くから問題ないし大げさだ」

 

「うつ病で大変かもしれないが気の持ちようだから考えすぎるな」

 

 

私はそんな理由で仕事を休むのを認められず、2カ月半も重いコンテナと大きな米袋を運ばされました。

 

 

そのせいで体調がさらにひどくなり、とうとう私は起き上がることさえできなくなりました。

 

 

新しい管理者と男性職員が、うつ病の私を休ませず9カ月も無理やり重労働をさせたのだから当然です。

 

 

倒れた私を見た男性職員が、意識がもうろうとして動かない私を車にのせて、私の主治医がいる病院へ連れていきました。

 

 

その結果、私は主治医からこれ以上仕事してはいけないと、ドクターストップをかけられました。

 

 

そして私はあの暴力女と新しい管理者から逃げるように会社をやめました。

 

 

ただしうつ病になって仕事をやめた私のお世話をする人は誰もいません。

 

 

なぜなら一緒に住んでいる母も3カ月前にうつ病になってしまったからです。

 

 

こうして私たちは誰一人世話する人がいない壊滅的な闘病生活が始まるのでした。

 

 

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10章…母と私が親子でうつ病になる

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