ウソの常識のせいで自分の頭で何も考えられなかった悲惨すぎる生活

 

 

高校を卒業した私は、指示がなければ何一つ考えられない、あやつり人形になりました。

 

 

幼いときから、一度も自分の意思や考えも持ったことがなく、勝手に行動したらばつを受ける環境で育ったので当然です。

 

 

人に優しくされたり暴力をふるわれたくなければ、強くて優秀な人に従い逆らえば暴力はもちろん、

 

 

「弱い人がこの世からいなくなって当然なのに、お情けで生かしてやってる恩を忘れるな」と言われたこともあります。

 

 

そのせいで私はそれ以外の価値観をまったく知らず、ウソの常識を持ったまま社会人になってしまったせいで、普通の人生とは大きくかけはなれたつらい人生を送ることになりました。

 

 

そして7月に障がい者の就職を支援する施設の所長から、1つの定食屋を紹介されました。

 

 

定食屋での仕事は軽作業が多いイメージがあり、早く就職してニートから脱出したいと強く思っていたので、そこで働くと即決しました。

 

 

このときの決断が地獄の始まりとは知らず…

 

 

ブラック企業でワンオペ労働そしてパワハラ

 

 

私が就職した飲食店は、ブラック企業としか言えない過酷すぎる環境でした。

 

 

 

・朝9時から10時まで開店準備

 

・10時から16時まで昼の営業

 

・16時から17時まで休けい
(まかないを食べて残った時間は昼寝)

 

・17時から23時まで夜の営業

 

 

 

私は毎日これを1人で全部やりました。

 

 

23時半に家に着き15分で体を洗い、着がえたら夕食の卵かけごはんを食べて、そのまま8時まで寝ました。

 

 

1日の労働時間が13時間のせいか、8時間の睡眠だけではたりないので、日曜日は18時間寝ました。

 

 

ただし毎日13時間働いたワケではなく、客が来ない日は2時間で早退させられたので、家に帰ったらそのまますぐに寝ました。

 

 

ただし休日でも社長夫人から携帯電話に、
「今忙しいから今すぐ出勤しろ!」と連絡があればすぐに出勤する義務があるので、長いときは連続で17日間休まず働いたこともあります。

 

 

ですので私にプライベートな時間はまったくなく、遊ぶことも家族と会話すらもできませんでした。

 

 

それに社長夫婦は仲が悪かったので、営業中に毎日おたがい包丁を持ってケンカしていました。

 

 

しかも従業員は私1人しかいないので、調理以外の仕事はぜんぶ私の担当でした。

 

 

 

・客から料理の注文を取る

 

・生ビールの注文でビールジョッキに注いで持っていく

 

・レジで会計

 

・ドリンクサーバーとコーヒーサーバーの掃除と補充

 

・料理をテーブルに運ぶ

 

・テーブルの食器を片づける

 

・食器を食洗器で入れて片づける

 

 

 

飲食店 511×384

 

 

店が満席になると客が45人以上になるので、私1人で全ての客の対応に追われました。

 

 

ですが当然対応しきれず、1時間以上待たされる客が何人もでてくるので怒って帰る客もいました。

 

 

ですがこの状況を社長夫人は、
「あんたが客の対応に時間がかかりすぎるせいで、こうなったから時短する努力しろ!」と説教されました。

 

 

そして私は社長夫人にこんな指示をされました。

 

 

 

・オーダー表(白いメモ帳)を早く正確に書く

 

・大のビールジョッキを1度に両手で4つ運ぶ

 

・ラーメンは1つのおぼんに4つ(大盛りは3つ)のせて運ぶ

 

・食べ終わった食器の片付けは1つのおぼんに全部重ねて1回で運ぶ

 

・営業中は歩かずつねに走って移動する
(料理を持って走りました)

 

 

 

しかも厨房の床が油ですべるので、足に力を入れないとすぐに転びます。

 

 

ですが座敷に上がらないと、料理を持っていけないのでサンダルで仕事しました。

 

 

新品のくつ下はたった2カ月で穴が開きました。

 

 

両足のつめが割れて治らないので、毎日くつ下に血がにじんでいました。

 

 

両手のつめが割れても社長夫人にばんそうこうを使うなと言われ、血が出たまま仕事をしていました。

 

 

歩数計は多い日は1日3万歩ありました。

 

 

ここに就職してから毎日続いていたので、私の体はやせてろっ骨が大きく浮き上がりました。

 

 

病気になっても病院に行かせない社長夫人

 

 

私が休むと会社が回らなくなるので、かぜを引いて39度の熱になっても、かぜ薬を飲んで仕事をしながら治しました。

 

 

発達障害で月に1回通院するために1カ月前に休むと伝えたのに、仕事が忙しくなると社長夫人は、

 

 

「今日は忙しいから病院に電話して予約をキャンセルしろ!」と怒られるので、病院に電話して当日キャンセルしました。

 

 

運よく病院に行けたとしても私はいすに座ったまま寝ていたので、母が私の代わりに主治医に会話してもらいました。

 

 

こんな生活が2年以上も続いたせいで、私はとうとうインフルエンザで倒れ熱は42度になりました。

 

 

普段は働きながら病気を治せと言われ、病院に行かせてもらえないのですが、今回は営業停止になったら困るという理由で病院に行けました。

 

 

病院に行ってインフルエンザを治して数カ月後、店を移転するという理由で私は社長夫人にクビを言い渡され、退職届を無理やり書かせられました。

 

 

ですが正直、社長夫人にクビを言い渡されたのは、逆に幸運だったと思いました。

 

 

なぜなら就職して3年以内に仕事をやめたら、再就職できないと信じていたので、クビになった私は安心して再就職できると本気で思っていました。

 

 

このとき私は21才でした。

 

 

そしてクビになって3カ月後、私は1つの障がい者施設に再就職しました。

 

 

しかしそこでもトラブルにまき込まれ、精神が病んでしまう未来が待ちかまえているとは知らず…

 

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7章…障がい者施設に再就職したが同僚のパワハラに精神を追い込まれる

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