私は高校3年生になり、来年社会人になるので就職活動する年になりました。
ただし私は生まれてから一度も、就職活動と面接練習をしたことがありません。
その理由は私が発達障がいだからです。
ある日、面接練習が終わったという話をまわりから聞こえて、初めて面接練習があったという事実を知りました。
そしてなぜか私は、養護学校に転校させようとした元担任の先生と元副担任に、学校の個室に来いと呼ばれました。
なので二度とかかわる必要がない人なのに、何のために私を呼んだのか分からず疑問でした。
そして私を呼んだ理由が、私の就職活動の担当の先生が元担任と元副担任らしいのです。
私はすぐに、
「私の面接練習はいつですか」と聞いたのですが、それに対し元担任はこう答えました。
「あなたに面接練習はないのよ。障がい者枠で就職するから必要ありませんよ」
私が発達障害のせいで面接練習がなかったという衝撃の事実を、ここで初めて知りました。
私は元担任に、
「これから夏休み中に3つの職場に、それぞれ1日8時間を3日ずつ職場体験で働くことが決まっていますので、がんばってください」と言われました。
私はそんな話は聞いていないと言いましたが、
元副担任は「もう決まったことなので、とにかく行ってもらいますよ」の一点張りでした。
「私は宿題があるので、9日も仕事をするのは疲れるので無理です」とつい反論してしまいました。
それに対し元担任の先生は、
「宿題は大変かもしれませんが、がんばってください」と笑顔で言うのですから、正直殺意しかわきませんでした。
なのに私に何も知らせず、勝手に話を進められていたので、正直置いてけぼりにされた気分でした。
そして夏休みが始まり、
細かい部品をあつかう工場、スーパーの裏方、旅館の仕事をそれぞれ1日8時間を3日ずつ働きました。
力仕事が多く夏休みの宿題が余計大変になったので、正直私にとってこの職場体験は最悪でした。
職場体験を理由に、夏休み中に72時間も無理やりタダ働きさせられたのですから当然です。
私にとっての最後の夏休みが、今までの学校生活のなかで、1番最悪な夏休みになったのは言うまでもありません。
そして夏休みが終わり、またあの元担任の先生と元副担任に呼ばれましたが、今度は知らない男性が一緒にまっていました。
その男性は、障がい者の就職を支援する施設の所長であり、私の働く職場を探してくれる人であると元担任は私に紹介しました。
私はこの人のせいで、最後の夏休みがめちゃくちゃにされたのかと思うと、正直迷惑な人だなと思いました。
ただ夏休みを最後に、職場体験の話が一切なくなりましたが、それでも就職活動と面接練習をさせてもらえないのは変わらずでした。
そのせいで私は就職先がどこにも決まらないまま、卒業式をむかえることになりました。
私は卒業する前に、学割で自動車講習所に行きたかったので、許可証をもらいに今の副担任に何度もお願いしたのですが、
「卒業式にならないと許可証をわたせないからダメです」と言われ、全く相手にしてもらえませんでした。
ですので卒業式の日に許可証をもらいに、また副担任にお願いしましたが、
今度は「卒業して学校の生徒ではなくなったのでダメです」と断られました。
なので私は、就職活動も面接練習も1度もさせてもらえず、自動車教習所を学割で通うための許可証も、もらえませんでした。
ですので私が発達障がいという理由だけで、ほとんどの先生たちに相当嫌われました。
当然ですが、あからさまに私と深くかかわろうとしなかった同級生たちも、本当は私のことを嫌っていたのではないかと今でも思っています。
結局私を1人の人として、対等に扱ってくれた人は誰一人いませんでした。
私はただみんなと同じように、楽しくあたたかで優しい青春を送りたかっただけなのに、まわりの人たちは誰もそれを許してはくれませんでした。
これが私の12年間の学校生活と青春のすべてです。
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