自分で考えることを知らずに育った私の破綻した高校生活

 

 

高校生になって、私を9年間暴力をふるった男子たちから離れられて、晴れてイジメから解放されました。

 

 

ただしそこに私が望んでいた幸せは、どこにもありませんでした。

 

 

理由は高校生になっても、友達の作り方も人とのかかわり方も会話のしかたも、まったく知らないからです。

 

 

なので高校でも、私の理想の深いつながりを持つ友達ができませんでした。

 

 

長い間私をイジメてた男子数人が同じ高校に入学しましたが、全員が違うクラスだったので助かりました。

 

 

ただし学校で姿を見かけるだけでも怖かったので、見つからないようにろうかを遠まわりして逃げていました。

 

 

部活は演技力を身につければ、人づき合いが楽になりそうだからと言う理由で演劇部に入りました。

 

 

ただし私が入部した演劇部はわずか3カ月でやめました。

 

 

その理由は、演劇部に入部してから多くのトラブルにまき込まれたからです。

 

 

演劇部では、定期的にわたされるチケットを売らなければならず、売れ残ったチケットはペナルティとして買い取る決まりがあるからです。

 

 

チケット売り 手渡し 510×339

 

 

当然チケットが1枚も売れなかった私は、少ないおこづかいから全額演劇部に支払いました。

 

 

決定的なのは、同じ演劇部に入部した同級生と仲がとても悪かったことです。

 

 

私だけハブられたり、少しでも気に入らないことがあるとすぐに怒ったり、部室の掃除を私1人だけにやらされました。

 

 

私が部活をやめるきっかけとなったのは、1人の同級生の女子を怒らせてしまい、胸ぐらをつかまれドスの効いた声で怒鳴られたことです。

 

 

「お前ムカつくんだよ!」

 

「そんなに私たちにボコボコにされたいのか?」

 

「なんなら今すぐ部員全員集めてお前をボコボコにしてやってもいいんだよ?」

 

「それでもいいのか?あぁ⁉」

 

 

私はあまりの恐怖に頭がまっ白になり、涙が止まらなくなりました。

 

 

そしてその同級生が出ていったあと私はパニックになって、自分の荷物をまとめて部室から逃げるように部活をやめました。

 

 

次の日、私が部活をやめるきっかけを作った部活の女子から、

 

 

「なんで部活来ないの?休んでないで早く戻ってこい!」などのメールが、これでもかと思うくらい大量に受信していたので、あまりの恐怖にまたパニックになりました。

 

 

なので私はあわててメールアドレスを変えて、部活の同級生の連絡先は1人残らず消しました。

 

 

演劇部でもらった劇の台本なども全部捨てました。

 

 

ただしこの騒ぎがきっかけで、担任の先生に目をつけられてしまい、なぜか私は地元の病院に連れて行かれました。

 

 

発達障害は高校にいらないから養護学校に転校させる⁉

 

 

私の両親だけでなく、なぜか担任の先生と副担任と教頭も一緒にいました。

 

 

私は何が起きているのか分からないまま、1人の医者のもとへ連れていかれました。
(この医者は私の主治医であり、今でも世話になっています)

 

 

そこで私は発達障がいであると診断されました。

 

 

すると担任の先生と副担任と教頭は、発達障がいであることを理由に、私を養護学校に転校させると言いだしたのです。

 

 

ただしこの計画はあっけなく失敗に終わりました。

 

 

その理由は養護学校の校長先生によると、
「高校受験を受けて合格できる力を持つ生徒は、養護学校に入学する資格はない」からだそうです。

 

 

「なのでどこの養護学校でも入学は無理ですので、転校はあきらめてください」とハッキリと断られたので、担任の先生と副担任と教頭はあからさまにイヤそうな顔をしていたのは今でも覚えています。

 

 

おだやかで何もない最後の青春

 

 

私が養護学校に転校せずに済みましたが、新しい問題が起きてしまいました。

 

 

それは私と同じクラスの同級生たちが、夏休みが終わってからなぜかよそよそしい態度に変わったからです。

 

 

クラスの同級生が別人のように変わった理由は、13年後である28才のとき母に教えてもらいました。

 

 

同級生が変わってしまった本当の理由とは、
私を無理やり養護学校に転校させようとした担任の先生が、クラスの同級生に私が発達障がいだと勝手にバラしたのが原因だと、母に聞かされました。

 

 

私は発達障がいという事実を隠して、まわりの人たちと同じように学校生活を送りたかっただけなのに、

 

 

勝手にクラスの同級生にバラしたせいで、私の最後の青春であったはずの高校生活をブチ壊した担任の先生のことが今でも許せません。

 

 

そのせいで、毎年の文化祭や修学旅行などのイベントになると私はずっと1人だったので、青春を謳歌しているとは到底言えず居心地はとても悪かったです。

 

 

たしかに友達の作り方も会話のしかたも、一切知らなかったのは事実ですが、

 

 

担任の先生がクラスの同級生に、私が発達障がいだと勝手にバラしたことが致命傷になり、友達を作る最後のチャンスをつぶされたと今でも思っています。

 

 

あからさまな偏見や差別はなかったですが、発達障がいの私と友達になりたいと本気で考える同級生は、誰もいなかったのだと今でも思っています。

 

 

そのときの私は毎日を生きるだけで精いっぱいだったので、高校生活を楽しむ余裕すらありませんでした。

 

 

精神が不安定になりすぎていたので、毎日保健室に行って誰にもバレないように、こっそりと精神薬を飲んでいました。

 

 

私にとっての高校生活とは、男子たちと担任の先生に暴力をふるわれる恐怖におびえず、毎日おだやかで何もない生活を送ること。

 

 

ただ、それだけです。

 

 

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5章…私だけ就職活動と面接練習をハブられる

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